仕事じゃなくて書いてみる。

出産離職の元フリーライター・編集者が書いておきたいこと。

プール!プール!プール!

夏になると恒例と言えば恒例なのだが、

今年は一段とプールに浸かっている時間が長い。

なにせ、4ヶ月前まで顔を水に浸けられなかったののこ。

常夏のタイ、子の遊びと言えばプールのタイに行くのに、

それはまずいってことでスイミングに通い出して、

少しずつ水に慣れてきたわけだが、

6月末のワッペンテスト(ののこ生まれて初のテスト)をきっかけに

水に対する積極性がグンと高まった。

夏休みに入り(ののこの園の休みは7月頭から、早すぎ)、

熊本の猛暑は屋外で遊ぶには危険なので、毎日市民プール。

寝ても覚めても、母が勘弁してと叫んでもそれを上回る叫びで、入水を懇願。

根負けする母 → 毎日市民プール。

という日々を送っていたら、早々にバタ足で泳げるようになった。

これはまさに、鉄は熱いうちに打て。夏の水泳短期講習にも入校。

午前講習、午後また市民プールorレジャープールな夏休み。

もちろん、旅行(県内だけど)だってプールがなくては始まらない。

ということでプール付きリゾートホテルにやって来たよ。

 

今日の、よかった残し(昨日は寝落ちで書けず。三日坊主より早い脱落)。

 

ののこ

・ホテルのお泊まりが楽しかったこと。

・ホテルのプールに入れたこと。

・ママと初めてここに来られたこと。

 ちょっと狙って言った感じの、ののこの顔がまた愛おしい。

 

コロナの県内リスクレベルが上がる前に予約をしていたとはいえ、

出かける前はやっぱり悩んだ。ホテルにも電話で相談したり。

来てよかった、ではなく、来られてよかった。

ののこの笑顔と寝顔を見ていると、

この揺れ動く状況のなか、安心してステイできるように尽力してくれている

ホテルスタッフの方々に心のからの感謝を覚える。

 

さなえ

・近場にののこが楽しめるステイ先があってよかった。

・部屋の目の前に花火が打ち上がったこと。

 花火イベントは到着するまで知らなかった。

・ディナーの部屋でののこが座っていられたこと。とてつもない成長を感じる。

 いつだったかの旅行では、夫とわたしと代わり番こでののこを相手しながら

 別々に食事をした。懐石のコースだったのに。

 

40になって、もう水着なんて一生着ないんじゃないかと思っていたのに、

ギリギリ前半だった去年までは屋内で済んでいたのに、

後半になって、炎天下のプールに引きずり出されるとは。

わたしのお肌、なーむー。

 

できる、できない、うまい、ヘタ、いいかどうかは抜きにして好きと思えることがときどきある

今日のよかった残し。

 

ののこ
・Nさんのお宅の大きなプールでみんなで遊んだこと

・軽食(Nさんお手製カッテージチーズのフロランタン)が美味しかったこと

・ママと仲良くできたこと

 

さなえ
・夏の課題ブラウスが完成したこと

・ののこのお友だち・こうちゃんが

 「ののちゃん、手を洗う順番を『どうぞ』って譲ってたよ」と教えてくれた

・子どもたちがケンカなく、落ち着いて元気に遊び、

 ののことさくらちゃんがゲラゲラ笑いながら遊んでいたこと

 

ののこが言う「軽食」は、彼女が通う園で使われる用語で、

いわゆる「おやつ」のことだが、考え方としては「軽食」なのだ。

3回の食事を補うもの、だから。

活動日には、母たちが給食室で手づくりし、14時半に子どもたちに出す。

メニューは、いきなり団子や黒糖蒸しパン、ホットケーキ、カステラ、などなどに

果ものと牛乳がつく。

時間的にも内容的にも、まあ「おやつ」だけど、ののこには「軽食」。

 

本日は園の世話役Nさんのお宅で、この夏3回目のブラウスづくり。

「軽食」のカッテージチーズを使ったチーズケーキが素晴らしくおいしくて、

ののこの「よかった」に残った。

 

ブラウスづくりは、園から母への夏休みの課題で、

数十年に渡り、子を生活団に通わすすべて母たちが、我が子にブラウスを作ってきた。

そしてその技術を、新しい母たちが受け継ぐ。これが「譲り」。

 

世話役のNさんは、お嬢さんのRさんを生活団に通わせ、当時ブラウスを作り、

またRさんもお嬢さんのNちゃんを生活団に通わせ、当時ブラウスを作り、

そして今回Rさんが、わたしたちにブラウスづくりを教えてくれた。

Rさんは、洋裁とは全く無縁だったけれど、生活団の課題でブラウスを作って以来

かれこれ6年、お子さんの洋服づくりを続けているらしい。

 

できる、できない、実際良いのかどうなのかはさて置き、

好きだな、と思うかどうか、で言うと、

わたしは、ののこが通う園のあれこれが、結局はとても好きだ。

 

そして裁縫も、あれ、楽しい… 気がする…

 

 

最近のわたしなのだ。

 

からだが疲れただけ。

クルマのバッテリーが上がるを初体験。

振り返って気が付いた。

このトラブルを解決するために関わってくれた人たちが

見事にみんな、気持ち良い対応をしてくれた。

 

愛車を駐車場にひと晩、置いておくことを快諾してくれた水泳教室のスタッフの方々、

教室の目の前のスタンドがレンタカーをやっていたこと(神)と、そこのお兄さんの対応、

ロードサービスのお兄さんが面白かった(おそらく本人は至極真っ当にやっている)、

修理工場のスタッフみなさんがとても丁寧、

さっちゃんはじめ最寄りのみなさん、ののちゃんを見ていてくれてありがとうございました。

そしてタイから各所の手配をしてくれたたいすけくん、心からありがとう。

たいすけくんがお休みでなかったら…と思うと背筋が凍る。

 

みんなに助けてもらって1日を無事に終えた。

今日は、クタクタ。

今日も、クタクタ。

でもみんながみんなでなかったら、もっとひどく疲れていただろう。

 

 

今日の、よかった残し。


ののこ
・今日もプールで泳げたこと


・友の家で久しぶりにともちゃんと会えたこと。

   こうちゃん、えいちゃん、ゆいちゃん、りょうくんと遊べたこと。じゅんちゃんも。


・ホテルに泊まりに行くことを考えたこと。考えると楽しい。夢に出そう。

(最初これを聞いたとき、わたしは意味がわからなくて、聞き直したら、

  「考えると楽しいってことだよ!」と的確な補足をくれた。言葉が達者な娘4才。)

 

 

さなえ

・別府で「月とリネン」を営むともちゃんから、

  オーダーしておいたスカートが朝8時半に届いたこと。

  リトアニアのリネンをたっぷり使って作ってもらった、美しいシルエットのマキシフレア。

  軽やかな黒。そして、涼しいのにあたたかいことを、帰宅後脱いだ時にからだが感じた。


・ののこが夏のスイミング短期教室4日間を無事に終え、

 修了証をもらう時に真剣な顔をして元気に返事ができたこと。

 

ベトナム風海老入りハンバーグを作った。ぷりぷり最高。

 レシピの材料は、鶏ひき肉(もも、胸)、海老、玉ねぎ、にんにく、

 ナンプラー、塩、砂糖。わたしは茹でて叩いたモロヘイヤをプラスした。



愛車よ、ののことわたしがタイに行くまで、あと少しよろしくね。

よかった残し。

 

昨夜わたしは、娘にひどいことを言って、

たった4歳の娘は、泣いたまま寝た。

腫れた目で起きた娘が朝いちばんで

「ママ、昨日はごめんね」。

楽しく過ごしたい。

仲良くしたい。

傷つけたくない。

いつも「今日こそは丁寧に」と朝祈るような気持ちで1日を始めるのに、

わたしは何度も、何度も娘にひどいことを言ってしまう。

娘がわたしを好きだと言ってくれているうちに、

娘の記憶を楽しいこといっぱいに埋め尽くしたい。

今日から、寝る前にふたりそれぞれ

楽しかったこと

よかったこと

を3つ言って、ブログに書いてから寝ることにした。

そうすれば、タイにいるパパにも、ふたりで頑張っていることが届くし、

少し安心してもらえるんじゃないかな、と思うから。

 

むかし見ていたアニメ「愛少女ポリアンナ」で「よかった探し」ってあったけど、

わたしとののこで今日から、「よかった残し。」

 

 


ののこ
・YMCAのスイミングで赤キャップになったこと

・2回スイミングに入れたこと

 (訳:午前、午後の2回スイミングに行けたこと)

・かき氷の本を買ってもらったこと

(訳:ずっと欲しがっていた、かき氷のおもちゃが付録の雑誌『なかよし』が手に入った)

 

さなえ
・ののこと仲直りできたこと

・普段はすぐに寝ちゃうパパが、ママとののこが仲良くいられるための方法を

   夜通し考えてくれたこと

・ののこがスイミングの曜日を振り替えたくないと言ったこと。

   理由は、いつものお友だちに会えなくなるから。

 

 

クルマのエンジンがかからなくなったことは、ひとまず置いておく。

知りたいこと_タイの生活文化<布団>

タイのひとたちは、どんな布団で寝ているのだろう。

 

友だちが韓国に留学していた時代、遊びに行くと、

とても薄い敷き布団を床にそのまま敷いて寝ていて、初めはとても驚いたし、

慣れるまでは体が痛かった。

その子は彼氏と住みはじめてダブルベッドで寝るようになったから、

いまの韓国ではベッドの生活も一般的なのだと思うけど、

その子から聞いた話によると、彼が(現在40代前半)が幼いころは、

夏なんかは、家の外にお布団を敷いて寝るのも珍しいことじゃなかったらしい。

「ドラマでもそんなシーンあるんだよ」

と彼女が夜道を散歩しながら教えてくれたことを思い出した。

 

その子はその彼と結婚した。

留学で韓国に行く少し前に恋に落ち、遠距離で愛を育み、渡韓。

結局、そのまま日本には帰って来なかった。

留学するときに彼が彼女にお布団を用意してくれたのだけど、

柄が気に入らないと文句を言っていた。

ポップでカラフルな大きな花が描いてあった。

結婚のときも、布団のことで何やら言っていたけれど、それは忘れた。

 

外国の布団文化と言えば、もうひとつ印象的なことがある。

ラトビアのリネンの掛け布団カバーが気持ちよくて使っていたのだが、

なん代目かがもう無理となったときに日本のリネンのカバーを買ってみたら、

四つ端に紐が付いていた。掛け布団とカバーがずれないように互いを結ぶ仕様。

これは日本の布団文化では普通だと思うけれど、

ラトビアのものは四つ端に手がひとつ分入るくらいの隙間が仕立てられていて、

とっても便利だった。

その穴から掛け布団の四つ端を引っ張り出せばよいだけ。

穴スタイルの布団カバーについてネットで調べたけど、

たった1件しかヒットしなくて、ヨーロッパかどこかが主流と、あったような。

日本の布団の仕様はしっかりずれないようになっているのはわかるけど、

面倒だ。

 

いま使っている布団はとくに気に入っている訳でもないけれど、

(カバーは全部好き)

タイに持って行く。

でも、タイのお布団がどんなのかも楽しみ。

 

 

転勤準備_マイカー売却01

今日したこと。

 

・マイカー売却のため印鑑登録と証明書の取得

 地方都市に住んでいるので、車は必需品。

 我が家は夫婦それぞれのマイカーの2台持ちだが、

 4人家族で5台持ち、なんてところも少なくない。車検対応らしい。

 

 わたしは妊娠7か月の41歳で免許を取得して、

 いまでは娘を乗せて山道だって、雪道だって、臆することなくハンドルを握るけど、

 首都高だけは走れる気がしない。

 

 まる4年、わたしと娘を近くへ遠くへ運んでくれたクルマをこの度売却する。

 四六時中、娘と一緒にいたこの4年間、

 束の間の自分の時間が訪れるのも、このクルマのなかだった。

 後部座席のチャイルドシートで娘が寝ると、ものすごく解放された気持ちになった。

 

 タイでは運転ができない、そうだ。

 首都高走行がさらに遠くなる。

 

 わたしのクルマは現在、夫名義。

 売却はおそらく夏ごろ、夫が渡泰したあとなので、今月中に名義をわたしに変更する。

 そのために印鑑証明が必要なのだが、印鑑登録をしていないため、

 区役所で、実印の登録と、証明書の発行を同時に行ってもらった。

 

 平日の夕方遅めだったこともあり、待ち時間もなく、

 活発な娘も珍しく、わたしの膝のうえでおとなしくしていて、スムースに終えられた。

 登録と証明書発行で700円。

 

 124年ぶりに節分が2月2日となった今日、父の11回目の命日。

 つつがなく1日を終えられたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

転勤準備_夫婦の情報共有01

夜はふたりとも充電がエンプティ。

だけど、渡泰に向けて気は焦る。

とくにTくん。

仕事から帰って来て、テレビを見ながら夕飯を食べていると

「Sちゃん(わたし)に話さないといけないことがあったんだけどな…」

頭が働かなくて思い出せない。

 

毎日「話さないといけないこと」の予告だけ受け続けるとわたしも焦ってしまうので、

ふたりのルールをつくる。

 

・話したいことを思い出したら、LINEのノートにあげておく。

 相手が話してこなかったら、尋ねてみる。

 

・話は基本、朝。娘が起きてくる前。

 ふたりで6時起床ができるように、夜は11時半就寝に。

 

小さなことだけど、共有している感じも持てるので大切だなと感じる。